デッド・オア・牛糞

ジョイント・アレルギー

不適合の嘆き

アルバイトに受かりません

この一か月で3店舗受けて全落ちです

意味がわからない

本当に社会キモすぎる、いじめっこでしょ社会 俺は頑張って社会に擦り寄ってるのに社会が俺を拒んでる

これマジに現代の兵糧攻めでしょ、アルバイトの面接に受からないって理由でナマポ受給できませんか?

実際のところガチでナマポ欲しいな

働いてる人はナマポを見下すけどナマポのほうが圧倒的に得じゃないですか?

労働者は頑張って頑張って週のほとんどを労働に費やして必死こいてお金を稼いでるのにナマポは日中まで寝て起きてマスカいてハナクソほじってるだけでお金貰えるんですよ?これ完全に錬金術じゃん

ていうかそもそも人類バカすぎなんですよねハッキリ言って人類バカすぎワロタなんですよ、「なんで有史以来人類発展しまくってんのに未だにどいつもこいつも働きまくってんの?」って話じゃないですか?だって普通は10人で耕してた畑が農具が発達して2人で耕せるようになったら8人暇になるじゃないですか?だけど取れる作物の量は同じなので8人が暇してようと10人全員仲良くご飯食べれるんですよ

いまその暇してる8人がズルじゃんって思った人へ「別に公平に交代制にすれば平等に労働量が減るだろバカめ」

マジで人類アホすぎないですか?楽するために発展してんのに逆に苦労しまくってるってどんな皮肉だよ

もはや過程が目的に置き換わってるんですよ「楽するために発展するぞ」から「発展するために発展するぞ発展するぞ発展するぞ!」になっちゃってる、アホすぎ

あと資本主義が悪い、資本主義が悪い!資本主義が悪いんだよ!!!みんなお金に振り回されすぎみんなお金が欲しいから別にいらん製品作りまくって購買意欲煽りまくって別にいらん製品買いまくって狂ったように経済を回しててこの一連のキチガイムーブをするためにアホみたいに必死こいて働いてるワケです

完全に"資本主義の奴隷"と化してるでしょこれ

たかが紙切れ1枚鼻先にチラつかされただけで血眼になって府中競馬場何周もしてるアドマイヤワーカホリックですよ全員

本当に心の底から笑ってるのは競走馬が必死こいて走り回ってるのを特等観覧室でシャンパン飲みながら見下ろしてる資本家ですからね

全員目を覚ましてくれ!俺たちは既得権益に胡座をかいた支配層に徹底的に奴隷根性を仕込まれた競走馬なんだ!死ぬまで走らされて走れなくなったら馬刺しにされて食べられるのがオチなんだ!!!

革命だ!!!今こそ革命の時なんだ!!!!!自由をこの手に!!!!!

俺をアルバイトに雇ってくれ!!!!!

 

 

追伸、いま人差し指を嗅いだらめっちゃ臭かったです

アルバイトに落ちた

先週面接を受けたお店から今日送付した履歴書と共に不採用通知が届いていた

なんなんだ一体

私は過去にバイトの面接を今回を合わせて4回受けているが受かったのは1回だけだ

バイトに落ちると毎回のように決まって「バイトって落ちるの?w」と言われるが現在合格率が1/4の私からしてみるとアルバイトの面接は"落ちて普通"なのだ

社会適合者が偉そうなことを言うなクソ

 

本当に何が問題なんだろう

大学でも友達ができないし初対面の人とのコミュニケーションに重大な欠点を抱えているのかな

自分では自覚なくて円滑にコミュニケーション取れてると思ってるんだけど無意識のうちに相手に嫌な思いをさせてしまってるんだろうか

無意識下で本当に酷い悪口言っちゃったりキツめのローキックかまして足元から崩していこうとしてるんだとしたら早く俺を精神病院に隔離してくれ、そんな狂ったジキル博士を放置しているそちらサイドにも問題がある

 

世間からしたら「受かって当たり前」のバイトの面接に銭湯に堂々と入れる身体を持ちながらここまで失敗するってことは本当にどこか欠如してるんだと思うんだよな

対人スキルに決定的な社会不適合性があるのに自分でそれに気付けていないこの現状が最悪すぎるせめてどこが悪いのか教えてほしい

 

嫌すぎる、本当に嫌になってしまった全部嫌だ、嫌すぎて今日はシコる気にもなれなかった

全部憎い、無理だ

社会が俺に適合しろよボケ〜

 

社会不適合ウンチ、脱糞!w

 

社会不適合ウンチが脱糞してしまったので本日はここまでにしておきます…

サヨナラ( ;  ; )

統一意識論

全ての意識は同一でありこの世の全ての生物は自分であると気づいてしまったので三つの論に分けて段階的な説明を記したいと思います

 

「電子は原子核の周りを回っている」

中学校で皆こう習ったはずである、私も「そういうものなんだ」と思って最近まで生きてきた、しかし教科書に載っていた原子核の周りを電子がくるくる回っているあのモデルは正確では無いらしいのだ

どうやら量子力学では原子核の周りの電子の正確な所在を知る事はできず分かっているデータをシュレディンガー方程式に当てはめ計算することでようやく"どこどこに何%の確率で存在している"といった情報しか得られないらしい

つまり、最新の物理学では電子は原子核の周り全てに確率的に偏在しているということである。これは電子雲といい最新の原子モデルに採用されている考え方で電子が存在している確率が高いところ程濃く表される

てっきり原子核と電子は地球と月の関係のようにボールの周りをボールが回っていると思っていた私はこの話を聞いて衝撃を受けた、と同時に「「確率的に偏在しているのは電子だけではないのではないか?」」と思ったのだ

私の考えを説明するにはもう一つ、並行宇宙論マルチバース論)というものを紹介する必要がある。

並行宇宙論というものは私たちが住んでいるこの宇宙以外に無数の宇宙が存在しているという突飛な理論だ、しかしこの理論は決してSF作家の妄言などではなく最新の物理学による学術的根拠に基づき日々大真面目に議論されている理論である

この理論が事実であるならば我々はこの無限に存在する宇宙に無限に我々のコピーが存在していると結論づけても何も不思議ではないのだ、これが「パラレルワールド」である

 

そしてここからが私の持論であるが、まず第一の持論が「宇宙が無数に存在していると仮定するときその無数の宇宙は我々の宇宙に確率的に重なり合っていて我々の意識が自分の行動を観測した時に意識が分岐し、それぞれの宇宙に収束するのではないか」である

例えば、朝目が覚めてベッドから降りるとき左足から降りるか右足から降りるかで二つの宇宙が存在している

実際には、”両足で降りる”や”左足のつま先から降りる”、”右足のかかとから降りる”など例を挙げるときりがないほど無数の宇宙が存在しているのだが分かりやすくするために”左足”と”右足”の二パターンのみとするとそこには”左足宇宙50%”と”右足宇宙50%”のように宇宙が確率的に複数存在しているのだ、そして実際に右足でベッドから降りたとき、自分の意識は”右足宇宙”を選択し収束する

ここで一つ問題が出てくる、それは「ベッドから降りる前に存在していた左足宇宙はどうなっちゃったの???」である。この問いに対する私の回答は「依然として存在し続けている」だ

私の考えとしては「右足宇宙を選択した私と同時に左足宇宙を選択した私も存在する」のだ、つまり「意識が選択によって分岐した」ということだ。てことは、今その部屋には”自分”が2人存在することになる

話はそれだけでは終わらない「人生は選択の連続だ」という言葉があるように人間が行動するうえで選択は無数に存在している

”どちらの手でドアを開けようか”、”駅まで歩こうか自転車を使おうか”、”何時の電車に乗ろうか”、”何号車に乗ろうか”等無限にも思える選択のそれぞれで意識が分岐し、それぞれの宇宙と自分が確率的に偏在していたら?

そう、この世のすべての空間に自分は確率的に偏在していることになるのだ

 

そして次に第二の持論だ「分岐宇宙は瞬間毎に誕生と消滅を繰り返しているが、意識はすべて肉体の死と共に他宇宙に回帰する」である

これを証明するにはまず分岐宇宙のリスクについて説明しなければならない、我々が瞬間毎に分岐する宇宙を旅しているとすると、そこら中に破滅のスイッチが埋まっていることになるのだ

バタフライエフェクト」という言葉をご存知だろうか、これは”遠くのちょうちょの羽の羽ばたきがさらに遠くの土地でハリケーンになって災害を起こすかもしれない”といった小さなきっかけが段階的に大きな事態になり得るといったことの例えである

つまりは無限に分岐する宇宙のなかには近いうちに破滅してしまう宇宙も無限に存在しているということだ、あなたがベッドを左足から降りた翌日に隕石が降ってきて死んでしまうかもしれないわけである

しかし、我々はお空から隕石が降ってきて死んでしまったことなど一度もない、「人生はお空から隕石が落ちてきて死ぬスイッチの連続である」にもかかわらず、だ

これはおかしいので、おそらく我々は一度も死んでいないのではなく毎秒死にまくっているのではないのだろうか、毎秒隕石に追突されまくってその度に肉体に付随する記憶は消滅し意識だけが分岐宇宙間をジャンプしてまだ機能している肉体に回帰するのだ

f:id:konoyo-no-sinri:20180707053404j:plainこういうことです

つまりは私の理論が正しいのであれば死を恐れる必要はなくなるということだ、なぜならば我々は毎秒死にまくっているからだ

しかし「それでも寿命が来たら終わっちゃうでしょ!」という声が聞こえてきそうだがこの寿命問題も次の持論で解決する

 

第三の持論は「肉体はあくまで意識の入れ物に過ぎず個々の入れ物に差異はない」である

目の前にプラスチック製のコップA,Bとガラス製のコップD,Cがあると想像してほしい

ではまずはプラスチック製のコップAに水を注ごう 今Aには水が注がれた状態だ、このAの水を同じプラスチック製のコップBに注ぎ直すことはAのコップをBに向かって傾けてやれば簡単だ

ではガラス製のコップC,Dに水を移すことはできるだろうか?答えは「できる」だ

素材が異なったところで水を移し替える作業に何も支障はない

私は肉体と意識の関係もこのコップと水の関係と同じではないかと思うのだ

コップが肉体で、水が意識である

そうつまり、「コップが壊れたならば他のコップに水を移し替えれば良い、コップが古くなって朽ちてしまったならば新しいコップに移し替えれば良い、プラスチック製のコップが全部壊れてしまったならばガラス製のコップに移し替えれば良い」ということである

意識というものは肉体の年齢、素材、種類などに左右されず自由に肉体間をジャンプできるのだ

記憶は殆どの場合肉体に付随するので(コップの底にメモリーカードが入っているようなもの)引き継げないが意識だけは分岐宇宙の肉体間を飛び回っているということになる

 

ようやくここまでで私の三つの持論を紹介し終わったのでおさらいすると

1.「宇宙が無数に存在していると仮定するときその無数の宇宙は我々の宇宙に確率的に重なり合っていて我々の意識が自分の行動を観測した時に意識が分岐し、それぞれの宇宙に収束するのではないか」

 2.「分岐宇宙は瞬間毎に誕生と消滅を繰り返しているが、意識はすべて肉体の死と共に他宇宙に回帰する」

3.「肉体はあくまで意識の入れ物に過ぎず個々の入れ物に差異はない」

さて、この三つの持論からどう最初に述べた結論を導くかというと

まず、1の論によれば個々の意識は無限の分岐と収束を繰り返しているが「始まりの一点と終わりの一点」が存在しているはずであることがわかる。しかし、2の論により意識の消滅は有り得ない、そこで3の論により肉体の完全消滅によって他の肉体に意識が移り変わるのだ。これが所謂「輪廻転生」の正体である「始まりの一点と終わりの一点」は”メビウスの輪”によって繋がっていたのである

f:id:konoyo-no-sinri:20180707211448j:plainこういうことです

 

説明はここで終わりです。

つまりは「全ての他人は自分の分岐意識であり、それは最初の宇宙誕生(あるいは意識の誕生)から脈々と続く意識の胎動である」というのが私が出した結論です

大意識すべてが自分であり他人なのです。

全身性感帯人間の肉体は汁で解ける

全身性感帯人間の始まりは突然であった

四次元空間におけるピンク色を帯びた一点が突如インフレーションを起こしたことによる突然変異的始まりであった

何にせよ"意思"によって生まれてしまった全身性感帯人間は自己の存在意義について何度も思考によるオーガズムに脳内クリトリスをバキバキに勃起させ悩んでいた

しかし爛れた自己追求の輪廻は遂に終焉を迎える事となる

全汁分泌マン(ぜんじるぶんぴつまん)の出現であった

無限に広がるピンク色の空間を震えながら漂っていた全汁分泌マンは全身性感帯人間を認識した刹那脳では無く本能が理解した

ーーーー「まぐわうのだ」ーーーー

精神的神仏が指令を出したと言い換えても過言では無い

こうして全身性感帯人間と全汁分泌マンの「まぐわい」は七日間に及んだ

七日目が終わった時全身性感帯人間を保っていた肉体は遂に解かれた

肉体という器が消失して露わになった性感帯の本質とは「愛」であった

無限の「愛」に包まれた全汁分泌マンの肉体はようやく産声を上げ

全身から喜び汁(よろこびじる)を大量に分泌させ空間と混ざり合ったのだ

 

                                —創世記より抜粋—

ブラックホールと死後と量子論

私は前まで"死後意識は消える"派だったのですが

最近になって死後意識は残ると思い始めてきたどころか確信に近いものを感じてきているのです

 

ということでブラックホールの話します

 

"ブラックホール情報パラドクス"という「ブラックホールに飲み込まれた物質の情報は消滅するのか?」という問いがありました

しかし現在の量子力学では基本原理として「情報は失われない」という原理があります

ブラックホールに飲み込まれた物質の情報がこの宇宙から消滅する場合それは量子力学の基本原理に沿わない、つまり量子力学が間違えていることになります

しかしこれに待ったをかけたのがヘーラルト・トホーフトさんの"ホログラフィック原理"これは「ブラックホールの表面に全部の情報保存されてるんじゃね?」っていう理論

これを以ってしてなんとか量子力学ブラックホールに消滅させられずに済んだわけです

 

さあ死後の話します

 

人の身体に心、精神、意識といったモノをそういったモノ足らしめる超常的な概念が存在するとして

そういった概念の"情報"は死後身体が朽ちてもこの地球含めた宇宙空間に漂い、存在し続けるのではないか?と思うのです

量子論では「情報は失われない」のだから

 

さて量子論の話します

 

いまから話すことはケンブリッジ大学理論物理学ロジャー・ペンローズ博士と、アリゾナ大学の麻酔科医スチュワート・ハメロフ博士が唱えている新説の受け売りなのですが間違えて解釈していたら指摘してくれるとありがたいです

量子の世界には"量子もつれ"または"エンタングルメント"といった現象が存在します

この現象は「量子は常にペアとなっていて一方がある振る舞いをするともう一方も即座に同じ振る舞いをする」という現象で"量子テレポーテーション"にも大きく関わっている現象です

これが我々の意識と何の関係があるのかというと"意識"という不可解な作用の根本が量子に内包されているという仮説が成り立つ時

我々の肉体が「死んだ」という脳内の量子情報は瞬時にこの宇宙のどこかにある「もう一方の量子」に送られる

つまり死後我々の意識は宇宙に拡散されるわけです

この仮説は「情報は失われない」の原理にも沿っています

 

もう一度言います

私は死後意識は残ると確信に近いものを感じてきています

意識(或いは魂)が量子に内包された情報なのであれば肉体はただの乗り物に過ぎないのかもしれません

もはや量子の世界は死後にまで言及した神の世界なのではないでしょうか

人類がバベルの塔を完成させパンドラの匣を開ける日は近いのかもしれません

 

 

ムカつくこと

「下ネタ」を特別視してる奴ムカつきます

なんか「下ネタ」禁止です!とか「下ネタ」苦手なんです。。。とかちょwww◯◯さん「下ネタ」wwwとか俺「下ネタ」結構エグいからさ〜wwwとか極め付けは「「女子の「下ネタ」はエグい」」みたいなノリ全部まとめてムカつきます

「下ネタ」禁止!とか露骨に嫌がってるカスはカマトトぶってんなよカス女お前はパパとママのドチャクソえろえろセックスで淫乱マミーがパピーのビッグディックによる子宮ノックでオマンコアクメキマった結果出来たタンパク質のバケモノなんだよって思うし

俺、エグめの「下ネタ」バシバシ言っちゃいますケド。。。みたいな激寒カスはくだんねー何のひねりも無い中途半端な下ネタ(こういう奴の下ネタの最高値としては「俺のチョコバット」や「お前の下半身のポークビッツ」等"ペニスを何か他の物に例える"が限界)をユーモアだと勘違いしててマジでムカつく大半が別にエグくもないしその何の変哲も無い素材そのままの未調理下ネタをテーブルに出されて「ちょっと◯◯くんその下ネタエグい〜〜w」ってキャッキャキャッキャしてる脳が金玉サイズの中高生の女見てもマジでムカつく

そして「「女子の!!!「下ネタ」!!!マジで!!!レベルちげーーーーー!!!!!」」みたいなマジの悪習にして悪臭のサイアク風潮

これマジで何?「男子の子供じみた下ネタよりウチらの下ネタのがヤバいよねー、ねー⤴︎」みたいな感じで「性別下ネタマウント」を取りたがってる女インターネットにマジで多い気がする

あとこれに満更でも無い顔してるカス男もムカつく「男ってみんなバカで最高だよな!!!!!」みたいなノリ、お前は中卒で脳と金玉のサイズが逆だから紛う事なきバカだけど勝手にシンナーの吸い過ぎでボロボロになった臭い口ニンマリ開けて男の代表気取りの最高ヅラ(笑)晒すなよ気持ち悪いな

これって「男はガキ、女は大人」みたいなレッテル貼りするカス文化が根本の原因だと思う「性別下ネタマウント」を取りたがってる女の下ネタ会合マジで一回見してくれよ俺に絶対しょうもないだろ生理周期とかルナルナとかタンポンの話しかしてないだろ

あと彼氏とのセックスの話とかしてそうだなディテール細かい奴うわめちゃめちゃムカついてきたムカムカムカムカ…

 

 

 

 

 

 

 

ウワーーーーーーーーッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!

延命奴隷

"安楽死"

日本では現在"安楽死"は法律で禁止されている

"安楽死"というテーマ自体賛否が分かれる複雑なテーマではあるが、この「法律で禁止されている」という点が私にとって気持ちが悪くて堪らないのだ

日本は民主主義国家である

民主主義国家である以上、国家全体が向かうべき指針は「最大多数の最大幸福」であるはずだ

しかし"安楽死"の「法律による禁止」は明らかに「最大多数の最大幸福」に反していないだろうか?

 

"安楽死"に対してアリ、ナシは個々それぞれで意見はあるだろうが現状の「安楽死が法律で禁止されている状態」に於いて"安楽死"がアリな人達は死の苦しみに怯え"生物学的な死"まで生き長らえなければならない不幸を背負っているが、安楽死がナシな人達は別に何の影響も無くホクホクと幸せな生を享受している

一方、「安楽死の自由が法律で保証されている状態」であったらどうだろうか?

"安楽死"がアリの人達は自らの終わりを自らの手によってマネジメントし、文字通り"安楽"な死を持って生の苦しみから解放されるので"幸福"であり、"安楽死"がナシな人達にも結局何の影響は無くそのままホクホクと幸せな生を享受しているのだ

さて、今挙げた二つの世界の「幸福の絶対量」を比べてみて欲しい

明らかに「安楽死の自由が法律で保証されている状態」のほうが「幸福の絶対量」が多いことに気が付かないだろうか?

つまり我々は声高々に民主主義を唱えるのであれば"安楽死"を認めなければおかしいのである

 

しかし、現在の民主主義国家日本において"安楽死"の自由は保証されていない

これは何故か?

「「自殺大国日本で"安楽死"を認めてしまうとせっせと納税する働きアリさん達が大量に消えてしまうからである」」

 

民主主義国家日本(笑)は奴隷が勝手にあの世に逃げないように法律で首輪を付けて縛るのだ

我々奴隷階級は楽に死ぬ自由さえ無いのだ

そもそも"安楽死"を合法化して大量に国民が"安楽死"を選ぶ国など最早国自体死んでいるようなものである

それを法律で縛り無理矢理体裁を取り繕う

まるで国そのものが「延命処置された奴隷」のようだ